まっちゃんちのイベント

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まっちゃんち in 北海道+α

宇都宮→今市 23Kmウォーキング強行さる

2000/8/19 (土)〜2000/8/24 (木)


まっちゃんち in 北海道+α

北海道へ車で・・・である。

時間の余りある学生ならいざ知らず、北海道へ車で・・・である。

 過密スケジュールで次々と観光するのはイヤ、どうせ車で回るならまだまだ番茶も出鼻の愛車で行くのがいい・・と家族の中で言い張ったのはまっちゃんであった。

 甲斐あってというか、周囲に呆れられながら、会社へは強引に休暇願いを出し、「まっちゃんち in 北海道」は5泊6日(フェリー2泊)の旅立ちを迎えたのである。

文中に写真が挿入されていますが、すべて640X480のJPEG画像です。お急ぎの方はご注意下さい。


8月19日

宇都宮〜大洗…フェリーにて苫小牧へ
走行距離:113Km

 実は家族でフェリーというのは昨年の佐渡に続き2度目なのだが、今回は長距離ゆえ、

船がでかい!

 朝9時に大洗を出航し、苫小牧へは翌朝5時過ぎ着という20時間を越える船旅 の開始である。
このくらい船が大きければ揺れなど無いだろうとたかをくくっていたのだが、丁度数日前に通過した台風の影響で結構揺れる。事前に危険を察知して酔い止めを飲んでいたまっちゃんおくさん以外は、3人とも脳みそがぐちゃぐちゃにかき混ぜられた如く、乗り物酔いの餌食に成り果てたのであった。

 私は前日あまり睡眠時間が無かったので早々に(といってもまだ朝の10時頃)ベットで昼寝としゃれ込んだつもりだったが、どうにも揺れる。なんかちょっとヤバイんではと思ってロビーに居るであろう家族のもとに向かおうとすると、なんと我が娘が嘔吐袋片手に、口の周りやら服に吐瀉物の残骸を付けながら便所の前をうつろな目つきで徘徊しているではないか。

 慌ててロビーに行くとまっちゃんおくさんが、娘が床に吐き散らしたものの始末に追われていた。まっちゃんも便所からトイレットペーパーを調達して処理に加勢しようとしたところまではよいが、すわ、と床を凝視した瞬間・・・第二の加害者になりそうな自分をはっきりと自覚したのである。そう、乗り物酔いに対抗するには外のすがすがしい空気と景色、そしてあらん限りの楽しいことを思い浮かべなければならないのであった。自分の娘のもとのといえども決して床に落ちた下呂(あえて替え字)などを凝視してはいけないのである。

 その後、まっちやんおくさんの配給により薬を得た我々は、効き目が現れるまでの30分程度の試練に打ち勝ちようやく 楽しい船旅の客(午後3時頃宮城県金華山沖)となることが出来た。やれやれである。

 そういえば、夜の夜中に何度も何度も嗚咽しまくっていた隣の部屋のおっちゃん、貴方は酔い止め飲み忘れ?それとも飲み過ぎ?とまっちゃんちで皆心配でしたが、その後如何お過ごしでしょうか?(なんて、これ読んでるわけないわなぁ)


8月20日

苫小牧上陸〜夕張〜日高〜十勝〜阿寒湖〜硫黄山〜川湯温泉
走行距離:386Km

 さすが北海道の道は快適である。昨日の脳みそグラングランの後遺症を少し残しながらも快調に車は進む。

 日高ではクマが有名であるが、道路沿いの街道レストランに 派手な看板人形発見!
写真でクマの股間に立つのは子供達である。このFRP樹脂製クマどん、下から見上げるとなかなか ド迫力で、初めて見る人は十中八九足を止めるであろう思われる逸品である。むしろクマ園などですっかり気合抜けした本物を見るよりも面白いかもしれないと思ったのはまっちゃんだけであろうか。

 阿寒湖では遊覧船に乗り、マリモ観察センターなるところでマリモについての展示と薀蓄を学ぶ。皆さんはご存知だったろうか。なんと、マリモは1年で0.4mm程度しか成長しないのである。
道理で数年前に北海道出張で持ち帰った瓶入りマリモがいつまでも大きくならない訳だ。
それからもう一つ大切なことだが、瓶入りマリモはたまに蓋をあけて空気を入れてやらないと育ちが悪くなるのだそうだ。で、我が家のマリモ瓶は現在蓋が開いている。誰がいつ倒してこぼしてしまうのかとひやひやの毎日である。


8月21日

川湯温泉〜屈斜路湖〜摩周湖〜霧多布〜標津〜知床峠〜ウトロ
走行距離:338Km

 道内2日目は川湯温泉から再び南下し、釧路の隣町霧多布を目指す。途中、摩周湖周辺では雨が降り出し、眺めは絶望かと思ったが、辛うじて空模様の快復の兆しが見られ文字通り 霧の摩周湖となった。もっとも、普段から霧深くなかなか湖面を見ることが難しいらしく、むしろ悪条件にも関わらずラッキーだったようである。

 摩周湖を離れ、弟子屈、標茶、国道を外れ厚岸の町へと向かう。この辺りは見渡す限りの牧草地帯であ。至るところに 牛が放牧されている。このあと、オホーツク海側に到達するまでは牧草地と山林以外の農地のようなものは殆ど記憶に無い。

 国道沿いの市街地は途切れ途切れにやってくるが、たまに街中とおぼしき部分に差しかかっても不思議と子供の姿が見えない。夏休みだろうに、やはり人口が少ないのでは、などとたわけた事を口走っていると、何の事は無い。北国ではもう学校が始まっているのである。

 昼頃に厚岸の町に着くが、算段していた食事場所が定休日。ガイドマップを良く見れば確かに月曜定休と書いてある。「良く読まんかぃ」という車中のそしりを受けながらも、そのまま霧多布まで車を進める。

 霧多布湿原と湾を一望できる琵琶瀬展望台にて昼食。一帯には 馬が放牧されている。ムツゴウロウこと畑正憲氏もこんな 道産子にまたがって、湾の向いにある動物王国を駆け回っているのではと想像を掻き立てられる。そう、まっちゃんがここ霧多布をコースに選んだのは子供のころに読んだムツゴウロウ本に感化された部分が少なからずともあったからなのだ。氏が初めて北海道に移り住んだ町霧多布。そして無人島生活の 嶮暮帰島(ケンボッキとう)がまさに目の前に広がっているのである。

 深い感動を胸にして(少なくともまっちゃんは)、一路海沿いの道を知床へと車を進める。
 この辺りの道も実に北海道らしく、どこまでもまっすぐ遠く地平線の彼方・・とまではいかないまでも、途中で下り坂があってそのまた向こうに道が続く位は楽勝で見通すことが出来る。なかなかの開放感、爽快感である。

 北海道の人はゆっくり走ると良く言われているが、なんのなんの。若い女性でも1000ccクラスの車で平気で100Km/h超でまっちゃんを追い越していく。こちらは渋滞と信号がまったく無いだけでも大満足であるのに。もっとも地元の人達が、取り締まりはおろか動物達とてめったに行き会うことのないこんなところでゆっくり走っていたら日が暮れてしまう・・と思うのも至極もっともな雄大さであった。

 標津辺りまで来ると曇り空の彼方に 国後島(恐らくハッチャス崎)が見えるようになる。
 このように手の届きそうなところにあると、漁業権云々や教科書の歴史のみで北方領土について理解している我々には、そこが異国の地であることが飲み込めないものである。

 予定時間より若干遅れながら羅臼側より、知床半島を横断する。
山並みも深くさすがは秘境である。途中道路脇の山腹に野生のシカを発見。家族一同いたく関心する。まっちゃんちの地元栃木は日光付近でもシカとの遭遇チャンスがまったく無いとはいえないが、知床の山並みの荘厳さ、はたまたクマ出没注意の道路標識などを見るに、やはり北海道を深く感ぜずにいられない一行であった。

ほぼ 日没時間(写真左側の丘はウトロ温泉街)には知床峠を縦断し終えウトロへ着く。


8月22日

ウトロ…知床観光船〜斜里〜浜小清水〜網走〜北見〜層雲峡
走行距離:242Km

 ホテルより車で数分のウトロ港より 知床観光船 に乗り込む。知床半島の北側を カムイワッカの滝近辺までの往復90分の周遊コースである。
 半島を横断するクマの姿が見られるかもしれない・・というふれ込みで乗船時に双眼鏡を有料で貸していた。まっちゃんおくさんをはじめ結構たくさんの人が借りていたようだが、倍率が低くてとてもクマなど見えるような代物ではない。第一あんな断崖絶壁ではクマも恐ろしくて近づかんだろうというような秘境である。

 観光船を降り斜里町へ向う。この辺りからだいぶ道路の感じが違ってくる。昨日までとはうって変わって交通量が多い。おまけに道路工事も多いときたもので(恐らくお盆の時期を外して一斉に工事を始めたのだろう)、一気に現実に引き戻されたような感じだ。

 小清水原生花園に到着。北海道は花で彩られるの7月あたりらしく、こちらも残念ながら今一つ。
 花はともかく、展望台の真横にある釧網本線の臨時駅である駅舎2坪ほどの 原生花園駅 が印象的であった。駅の機能は観光100%なのだろうか、この狭い駅舎に駅長さんと、グッズ売りのおばちゃん2名体制であった。

 網走方面へ近づくと更に街の喧騒が耳につくようになる。とは言ってもそれまでの田舎道に比べればということであるが。それから、この辺りの地元の人は結構車をのんびり走らせるようである。追い越し禁止の1車線道路を制限無し(自動車60Km)なのに 40Km位で流す人も多く、さすがに予定のペースがダウンしてきて次のポイントへの到着が遅れるようになってきた。

 さて、網走といえばやはり網走刑務所であろう。まっちゃんおくさんが学生の頃(20年位前)当地を訪れた際は、刑務所が実際に使われており外から見るだけだったというが、現在では「博物館 網走監獄」として公開されている。現在刑務所は別な場所の近代的な設備へ移動したそうだが、博物館の木造の牢が最近まで使われていたかどうかは定かではないにしても、極寒の地であの設備ではとてもとても・・というような雰囲気であった。北海道開拓期にはここへ送られた罪人達の労働力をもってして開拓が推進されたようだが、過酷な環境と労働、まさに地獄の網走刑務所だったのだろう。

 博物館と銘うっているだけに資料はさすがに豊富である。まだ行かれていない方は時間に余裕をもって(ゆっくり見たら1時間以上はかかる)参観されると良いだろう。名所ではお決まりのグッズコーナーなどもあったが、 監獄パン などという笑えるものも置いてあった。

 網走を後にしオホーツク海と別れ再び内陸へ。女満別を通過し、北見、層雲峡へと車は走る。
 この辺りではなんと稲作を行っているではないか。こんな北国でも米は出来るのかと驚く。暫く牧草地と畑しか見かけなかったせいか、大袈裟なようだがとても懐かしい気がした。

 途中、温根湯温泉にある北きつね牧場に立ち寄る。園内に北きつねが 放し飼い になっているのであるが、確かに普通なら1匹でも珍しい北きつねが見渡す限りそこここにも、手の届く ほんの目の前にも・・と動物好きのまっちゃんにとってはとても嬉しくなってしまうのであった。


8月23日

層雲峡…大雪山黒岳〜旭川〜美瑛〜富良野〜滝川〜苫小牧
走行距離:382Km

 朝一番で 大雪山ロープウェイ、リフトと乗り継ぎ 黒岳7合目まで登る。
 今回の旅行は事前の天気予報であまり天気は望めないはずであったが、昨日に続き今日も晴天に恵まれる。お陰で壮大な景色を目の当たりにすることができた。
 ご覧のような 立て看板があるところを見るとさすが北海道である。ここから入山する人は入山者名簿に記入してから出発することになっているのもうなずけよう。

 大雪山、層雲峡を後にして、北海道は第二の都市旭川へと向う。札幌へは出張のおり何度か行ったことがあるが、旭川もなかなか大きな街である。信号、渋滞、見慣れた全国チェーン店の看板・・・おぉ、あそこを行くはコギャルではないか。

 旭川より国道を南下して美瑛、富良野へ。富良野も中心街は典型的な地方小都市といった趣ではあるが、少し足を伸ばし郊外にある麓郷に行く。麓郷はドラマ「北の国から」の舞台になったそう(まっちゃんは見ていないのでよくわからない)であるが、確かに牧歌的な雰囲気に包まれている。ドラマの撮影場所をそのまま観光に提供しているところがあり、田中邦衛扮する黒板五郎が作ったという 「石の家」 にまっちゃんおくさんはいたく感動していた。

 富良野を去りいよいよ北海道旅行も終わりを迎えようとしている。滝川ICより道央自動車道に入り、苫小牧を一路めざす。フェリーの乗船手続き時間に30分程遅刻して少しあせり気味ではあったが、無事到着。まっちゃん一行を乗せたフェリーは19時丁度、小雨降る中仙台へ向けて 出航した。
 4日前の早朝、この港に降り立ってからの出来事が走馬灯のように記憶を駆け巡り、何にもまして無事北海道を走りきったことに深い安堵を覚える。


8月24日

仙台〜石巻〜牡鹿半島…連絡船(金華山)〜宇都宮
走行距離:447Km

 帰りの船は鏡の上を進むが如しでまったく揺れはなかった。また用心の為出航前に薬を飲んでいたので万全である。

 なによりも、行きの大洗発のフェリーに比べこの船は格段に内容がすばらしい。 設備が充実 しているし、寝室や 通路、 全体の間取りがゆったりとしている。 ゲームコーナー 風呂 もあり、長旅にも楽しく臨めること間違い無しである。

 フェリーオブザイヤーというランキングで毎年上位にエントリーしているらしく、乗務員の接客態度などにも自信の程が見え隠れしていた。
 ちなみに行きと帰りは全く違う船会社であり、帰りは「太平洋フェリー」の"きそ"という船である。

 さてさて、北海道であれほど走り廻っているのだからよせば良いのだが、せっかく仙台あたりまで来ている・・とつい貧乏性。足を伸ばして牡鹿半島の南端にある金華山へ向うことにする。金華山は行きも帰りもフェリーから良く見えていた。

 鮎川港より小型の連絡船にて25分、島に上陸。平日とあって実に 閑散 としたものである。金華山神社を目指し石段を登り詰めると山門で文字通り牡鹿が お出迎え。

 シカも観光客には慣れたもの。シカ煎餅なども売られてはいるが、手持ちのかっぱえびせんに多いに食指を動かされた シカ君達であった。

 陽も西へ差しかかり岐路を急ぐ。途中、牡鹿半島中腹から偶然にも行きと同じ便のフェリーが沖合いを通過するのを発見。ちょっと嬉しくもセンチになる一行であった。


あとがき

 約2000Kmにも及ぶロングドライブで、宇都宮に帰った翌日はさすがに体調がずたぼろでした。しかし、道東は期待を裏切ることの無い素晴らしいエリアであったことは間違いありませんでした。いえ、本当に素晴らしいところはまだまだたくさんあるし、もっともっと素晴らしい時期があふれんばかりの自然で迎えてくれるだろうにとの欲求不満に駆られたのも事実です。

 観光コースをバスで行くか、車で廻るかレンタカーか? 随分と我が家でも悩みました。思い返せば体力的にハードではありましたが、片道を丸1日フェリーで消費してしまうというデメリットを補って余りあるほど正しい選択だったと思っています

 観光会社の昼頃出発で昼過ぎ帰着などというゆったりコースでは、3泊4日といっても内容的には2日だったりしますし、またその反対に、夜8時頃にホテル着、翌早朝発という限られた時間での慌しい消化型コースも多いようです。

 今回まっちゃん一家の辿ったルートは代表的な道東ルートからちょこっとはずしたり、気にいったところでコース変更なども行っています。車ならではの強みですね。これから北海道を訪れる方はレンタカーでも良いですから、自らハンドルを握ることを強くお勧めします。

 また、紙面の都合で(そんなもの無いって)、紹介しきれなかった思い出や、デジカメ300枚強、銀塩200枚程度の写真があることも書き添えて、「まっちゃんち in 北海道+α」のあとがきといたします。


2000/5/4 (木)


宇都宮→今市 23Kmウォーキング強行さる

画像はこちら

かねてより腹案としていた、自宅→まっちゃんおくさんの実家(約14Km)のウォーキングについにチャレンジした。
実はこれ以前に、おくさんの実家から小5,小3の甥が2人だけで同じルートを4時間でクリアしており、我が家も一年発起を狙っていたが、事後の体力的ダメージを考慮し、連休こそチャンスと実行に移った次第である。

当初、途中でくじける可能性があった2名(娘とおくさん)も思いのほかの健闘で、また途中からおくさんの実家より親子3名が加勢で合流してくれたお陰で全員元気に歩き通すことが出来た。なかなか楽しい思い出となった。

予想外の結果としてもう一つあげておかなければならないのは、おくさんの実家よりさらに9Km先のJR下野大沢駅までも到達してしまったことである。
ルート延長は歩いている最中に思いついたことであったが、日頃歩きつけているわけでもないのに結構調子がよかったのでその気になってしまったのかもしれない

結果的には、自宅→JR下野大沢駅、23Km 合計1時間30分の休憩を含んで8時間ちょうどを費やし、万歩計は32,700歩を示していた。

調子よく歩いたといっても、さすがに大沢駅直前数Kmは皆あちこち痛みを訴え始め、ゴールでの疲れは隠せなかった。子供達は日頃は些細なことでも出てくる文句が不思議と少なく、寡黙にゴールした瞬間きっと心の中に達成感を感じていたことと思う。

・・・で、事後のダメージであるが、我が家では4名とも"出た"ところが違ったようで、私の場合は歩き終わってしばらくしてから、太ももがパンパン。「やばい、これは明日一日寝たきりか」と思うほどの状態であったが、何故か一晩たってみれば殆ど回復。まだまだいけるわい、と次なる歩け歩け(次回は山登り)を密かに企てるのであった。