萩尾望都

トーマの心臓

 誰からも愛される十三歳のトーマ・ヴェルナー少年の自殺から物語は始まる。ドイツの全寮制学校ギムナジウム・シュロッターベッツを舞台にして人間愛のドラマが繰り広げられる。

 宗教観のようなものが色濃く根づくストーリのなか人間愛をまざまざと見せ付けられる。少年達だけの閉塞した環境で同性が愛し合うという設定は、男女のような性的なものとは一線を画した純粋に人間愛を描く為の演出とも受け取れる。
 疑いも無く愛を信じるエーリク少年、ちょっとした過去のあやまちに対し、深い贖罪意識で心を閉ざしてしまったユーリ少年。トーマの生き写しのような容姿のエーリクに愛されることにより自らのトラウマに苦しみ恐れるユーリの心はやがて開放されていく。自らの命を捧げることにより無償の愛を与えてくれたトーマに、エーリク達もそして読者もまた涙することが出来るのである。

 450頁超という分量の中で一体どうしたらこのようにストーリを計算し尽くして配分していけるのだろうか。萩尾望都という人は。全体の説明をするには確かに細かな事が幾重にも複雑に絡みあいながら話は進行するのだが、書きたいものがはっきり見えているからしっかりと一本筋が通った出来になるのだろうか。正直言って難解な部が多いのも事実だが、救いのプロセスを明らかに到達点に見据えたところがこの作品の素晴らしさであると思う。
作成:03/04/23

11月のギムナジウム

 「11月のギムナジウム」「秋の旅」「塔のある家」「もうひとつの恋」
 「かわいそうなママ」「白き森白き少年の笛」「セーラ・ヒルの聖夜、以上7作収載

 実親の死や離別そして再会をテーマに、子供達がまっすぐなまなざしで現実を見据えていく。決してひるむことなく逞しく生き抜いていく。ともすれば恋に隷属的になりがちな少女漫画。敢えて少女を読者と想定しながらここまで真摯になれたのは、いずれも1970年代の作品ならではなのだろう。小学校高学年位を対象として、是非「課題図書」として子供達に読ませたいと思うくら「きれいな感動」を与えてくれる。
作成:03/04/03

恐るべき子どもたち

 第一次大戦直後のパリの街角が舞台。エリザベートとポール姉弟の無軌道な破壊への道筋を辿る物語である。ジャン・コクトーの小説詩が原作となっているらしいが、愛憎の果てに救いが感じられないこの作品は或る意味「難解」ともいえよう。もはや漫画というよりも戯曲をそのまま読んでいるようで少女漫画という視点で読んではいけない作品である。萩尾望都という漫画家の奥行きの広さを実証しているとも言えよう。
作成:03/05/08

イグアナの娘

 「イグアナの娘」「帰ってくる子」「カタルシス」「午後の日射し」 「学校へ行くクスリ」「友人K」、以上6作収載

 心象的なバーチュアル-リアリティー。辞書によるとバーチュアル-リアリティーとはコンピューターが作り出す仮想現実感のことらしい。が、萩尾望都のバーチュアル-リアリティーは漫画の世界。
イグアナの姿形をした娘を通して見たありふれた日常にちりばめられている人間の複雑さと単純さ。猜疑や裏切り、信頼と愛。心の中をストイックに表現しているこれら作品群は、テーマの本質の重さとは裏腹に、爽やかに駆け抜ける春風のようなタッチで語りかけてくる。
作成:03/01/25

スター・レッド

 23世紀末の地球の一人の少女。レッド・星。白い髪、赤い瞳の火星生まれの彼女は憧れの故郷へ戻る。しかし、人類との軋轢や火星人達の呪われた運命を見て心を痛める。火星を愛すが為に彼女自身もまた戦いの挟間で翻弄されていく。

 書き出しと終盤の状況設定にかなりギャップがあるのが気になる。SF好きな人や萩尾フリークな人には許容範囲なのだろうか。
 テーマは宇宙SFに徹しているので、純粋にそういった見方で読めば楽しめるのだが、「トーマの心臓」に代表されるようなヨーロッパ風の閉塞された空間を描いた"静"とまったく異なった筆致で描かれている。同じ手法でストーリーを展開しないところに萩尾の潔さというか力を感じさせられる。
作成:03/11/22

ウは宇宙船のウ

 「ウは宇宙船のウ」「泣きさけぶ女の人」「霧笛」「みずうみ」「ぼくの地下室へおいで」「集会」「びっくり箱」「宇宙船乗組員」、ミステリー基調などこか物悲しいストーリー仕立ての全8作短編集。

 萩尾の作品は難解なものが多いが、この1冊も単なるミステリーとしてのみ読み進んでしまうと、どうにもすっきりしないものがあった。よくよく考えてみると話のしまい方に萩尾流のエレガントなこだわりがあるのだが、私にその部分の読解力が欠けているのが原因のようである。やはり萩尾の作品は難しい。
作成:04/01/03