漫画では思いっきり悪人に描かれている。竜馬の自由への憧れは身分制度の厳しい土佐藩の中で、とりわけその象徴としての山内容堂への憎しみが基点として描かれているが、史実としては二人は生涯一度も顔を合わせてはいないという。 鯨海酔侯(げいかいすいこう)と自称し、酒と詩をこよなく愛した。後年は「賢侯」と呼ばれるようになり京都御所の会議などにも召集される。佐幕派として行動していたが、時局の流れを見て家臣の後藤象二郎の持ってきた(元は竜馬から)大政奉還建白を推進するという柔軟性をも併せ持つ。