夏子の酒

    作 者:尾瀬あきら
    全巻数:12巻
    出版社:講談社
    初版年:1988年12月
夏子の酒


 東京の広告代理店で働く佐伯夏子の実家は新潟で造り酒屋を営む。
 後継者である夏子の兄、康男は酒造りに情熱を燃やしており、幻の酒米「龍錦」を探し求め、たった12本の稲穂を手に入れるもついに体を壊し他界。康男の意思を継ぎ「龍錦」で純米吟醸酒を造る為に夏子は勤めを辞め故郷に帰る。

 「龍錦」は手の掛かる品種で、有機無農薬農法で栽培しなければならない。しかし収益性の低い品種への農家の関心は薄い。しかたなく夏子は自らの手で「龍錦」を育てることになるが、夏子の熱い思いが周囲に届き、「龍錦」栽培会のメンバーは徐々に増えていく。

 「龍錦」栽培も2年目を迎え、次の収穫ではいよいよ仕込みが待っている。佐伯酒造の名杜氏、山田信助もまた康男の意思を継ぎ「龍錦」での造りに賭けていたが、長年の疲れから病に見舞われる。蔵元で夏子の父、浩男社長は一度は杜氏の退任を決意するが、夏子はなんとしても山田に仕込んで欲しいと願う。また山田も自らの寿命を縮めることを知りながらも造りのシーズンに蔵へ帰ってくる。佐伯酒造の未来を賭けて、夏子と山田の亡き康男に対する弔い、そしてそれぞれの酒へ対する情熱のもと、日本一の銘酒を目指し「龍錦」の仕込みが始まる。


 「夏子の酒」ならぬ「夏子の米」といってもよいほど米つくりのネタが多い。
 減反や有機農法などの農業問題、また、酒造業についても近代化や合理化の影響などが端々に記述されている。物造りに対する本質と相反する現実の視点から、後継者問題や経営の未来性など、農業と酒造り共に相乗的に話題は進む。

 全12巻というボリュームの中、とりたてて盛り上がる訳でもなし、やたら現実的なストーリー展開だが、酒造りという伝統的な仕組みの中で行われる蔵人達の営みや、有機栽培を通して、単なるエコロジーに留まらない農業の原点を見つめていく。こういった問題に、一般的にそんなことには無頓着であろう若い娘を立ち向かわせた設定は非常に面白い。

 登場人物は全て酒にこだわる人達であり、多くの利き酒のシーンや薀蓄もまた素晴らしい。ドキュメンタリな部分が多いので、酒に対する知識源としては優れていよう。日本酒愛好者は、ああも多くを語られたら安売りの酒はきっと飲めぬに違いない。そんな雰囲気になってしまう作品である。

 話の基本線は夏子の「龍錦」に対する情熱だが、あまりにも現実的過ぎる周囲の障害を、その情熱だけで乗り切ろうとする非現実的な部分が、亡き兄に対するブラコンなのか物造りに対する想い故なのかどうもはっきりしない。読み手もこの部分で夏子側に立てないと話の展開に乗り切れない可能性がある。特に終盤、神がかり的な利き酒の能力を発揮するあたりからはその傾向は強い。酒とは如何に人知を超えたものなのかということが語られているが、このくだりが本当に沁みて感じることが出来る人は酒好きな証拠かもしれない。勿論一般的なレベルでは充分に感動できて面白い作品なのだが、現実論と精神論があまりにも対峙しすぎている部分が話の理解を難しくしている。

作成:02/06/21

当ページの画像は、尾瀬あきら作、講談社発行の「夏子の酒」1巻,9巻よりスキャンして使用しております。他に転載及び使用されることは堅くお断りします。