沈黙の艦隊

    作 者:かわぐちかいじ
    全巻数:32巻
    出版社:講談社
    初版年:1989年12月
沈黙の艦隊

あらすじ

 海上自衛隊潜水艦「やまなみ」はソ連原潜との衝突事故で沈没。艦長、海江田四郎(かいえだしろう)以下乗員70名は絶望。
 一方僚艦の艦長、深町は海江田の事故については疑惑を感じていた。独自に調査した結果、日米共同の原子力潜水艦建造という驚愕なプロジェクトを知ることになる。

 事故で全滅したはずの「やまなみ」乗員はアメリカに居た。問題の原潜「シーバット」の乗員として米海軍第七太平洋艦隊に所属するためである。
 海江田は、アメリカの為にこの最新鋭の艦を使わないことを胸に秘め、試験航海にて米軍より離脱、独立国家「やまと」を名乗る。

 海江田の主張は、米ソ冷戦のさなか、特定の国家に依存しない核抑止力が国際平和の為に必要であり、そのために「やまと」は存在するというもの。
 物理的に圧倒的な戦力の差を示されながらも、ソ連原潜や米艦隊と"専守防衛"のスタイルにのっとりながら、攻撃されれば必ず迎撃するという方針を貫き通し「やまと」は圧勝し続ける。
 当事者の一端である日本政府は大紛糾を極めるが、竹上総理は世界政府を標榜する海江田の主張に同調し、ほぼ独断で日本と「やまと」の同盟関係を結んだ。これを受け、米側の対日姿勢は硬化し、米大統領ベネットは密かに日本再占領を画策する。

 「やまと」は、世界一の核保有国、軍事大国のアメリカへと向かう。ニューヨーク近海では、米大西洋艦隊群の国家の威信を賭けた「やまと」阻止作戦が展開されるが、攻撃を辛くもかわし、大西洋艦隊にダメージを与えながらニューヨーク湾を進む。
 また、海江田の行動と主張に着目したアメリカジャーナリズムのACNは「やまと」にスタッフとテレビカメラを乗り込ませるなどして「やまと」広報を繰り広げる。はじめのうちは敵視していた市民も、カイエダ「やまと」の正義を、報道により目の当たりにすることにより、世界中の世論は徐々に「やまと」支持に傾いていく。

 そのころ、ニューヨーク沖には核保有国である、英・仏・ロ・中・印の最強原潜が密かに配備された。各国首脳の思惑は「やまと」撃沈、場合によっては今後の世界の覇者たらんとしていたのである。だが各艦の艦長もまた海江田に心動かされ、祖国の指示を離れ「軍人としての良心」に従い、「やまと」率いる「沈黙の艦隊」に加わる。

 一方、国連は国際的な中立機関としての機能を長年果たせていないことに傷心していたが、超国家を掲げるカイエダ「やまと」出現で、これを取り込み世界政府樹立に向けた工作を行おうとする。しかし、世界の警察を自ら標榜するアメリカに行く手を阻まれる。
 「やまと」に総攻撃の大義名分を見出せず、ニューヨーク湾進入を許して敗北を実感したベネット大統領は、超国家後もイニシアチブを取りたいと望み、自ら「沈黙の艦隊」を設立しようと考える。そんなベネットと彼に嘲笑的な大国首脳達は、世界市民たらんとする世論の沸騰するなか国連本会議場に海江田四郎を招き、兵器廃絶、世界政府樹立に向け決議をすることになる。

感想

 結局「世界政府」樹立という結末は描かれていなかったし、海江田も国連の壇上で狙撃され脳死してしまう。「やまと」も米軍の正規行動以外の隠密作戦で撃沈(乗員はすべて生還)されてしまうが、海江田が示したものが政治家も軍人も含めた世界のすべての人々の心に深く根付くといった結末で閉じる。

 わずか2ヶ月の間の出来事を32巻に描いているだけあって内容は濃い。登場人物は日本の政治家、自衛隊指揮官、各国潜水艦艦長、米艦艦長、米ジャーナリスト、米大統領やその補佐官達が主だが、それぞれに己の置かれた立場や責任と人生観の絡み合った深い現実の苦悩の中で「やまと」と対峙していく。

 横須賀沖海戦では自衛隊の護衛艦も出動するが、実際の戦闘という場面で自ら攻撃を加えることの出来ない自衛隊のあり方について課題を投げかけている。もちろん日本が"軍隊"を持つことを主張するような問いかけではなく、自国の軍備に対して具体的に火器が使用されるという現実、まぎれもなく戦争は殺戮であり、相手を圧倒すること、あたりまえのようだが日本人が一番現実的な認識を持てないこの事実をここで作者は示したかったと理解したい。戦争の本質をあたりまえに描いたこのくだりが、海江田を、そしてこの後のストーリー展開全体を理解するための踏み石であるように思える。

 中盤以降はアメリカのベネット大統領の対応が大変興味深い。ニューヨーク湾深く「やまと」が進入するに従い、彼はカイエダ「やまと」への敗北を感じながらも、あらゆる思索と苦悩を繰り返しある結末に達する。自らが兵器を手放して超国家設立に乗り出すという逆転勝利を目指す方向へ。
 そこには人間ベネットとしての良心と、世界の王者たらんとするアメリカ大統領としての責任感としたたかさ故の苦渋の選択が描かれている。日本の竹上総理も信念によって自国を窮地に陥れるジレンマがあったが、全巻通して一番苦悩したのはベネットであろう。
 窮地をかいくぐり反戦的な態度で臨む海江田の戦術を面白いと読むのがこの漫画の屋台骨なのだろうが、実は一番読み応えががあったと思えたのはこのベネットの姿であった。

 私事になるが、私が生まれたのは昭和34年、戦後14年の高度成長期の入り口に差し掛かった頃である。武蔵野と呼ばれる都内でも自然が十分に残された地域で生まれ育った。
 近隣には米軍の基地や設備が多かった。子供の頃の思い出で鮮烈だったのは、休日に家族で立川にあったデパートへ食事に行った際、窓から見下ろす米軍立川基地に行き来するベトナム戦線の物資輸送機の姿であった。カーキ色の巨大な輸送機に物資を搬入するありさまを見るにつけ子供心に戦争は今でも本当に存在するということを確信した。
 また、アメリカンスクールなる米人子女専用の学校があったが、鉄条網で隔離されたその中の様子は映画でも見たことの無い本当の外国の生活の匂いがした。あぁ日本は占領地なんだなって。
 中学校の時に復帰前の沖縄から来た転校生と友達になったことがある。彼は姉と二人で暮らしていたが、護身用に押入れの中に潜ませている実弾入りの拳銃を見せて貰ったことがある。沖縄って日本じゃなかったんだよね。

 あらゆる戦争に勝ち続け、勢力均衡といった観点から世界の秩序を維持してきたのがアメリカであり、その原動力が兵器であることは悲しいかな現実である。また日米安全保障条約という、言い換えれば占領政策ともいえる傘の元で戦後の日本が奇跡の復興を遂げたこともまた事実である。
 第二次大戦後も幾多の戦争が世界中で繰り広げられ、今なお紛争の火種は絶えることが無い。そういった戦争の存在に対して、日本は何を考え、何が出来るのだろうか。戦争を禁じる憲法を掲げながら自衛隊という軍隊を持つ矛盾。世界の経済大国になりながらも現実の戦争に対して主体的な関与を持ち得ない世界観の無さ。そんなジレンマに海江田の「沈黙の艦隊」は、非現実的だが大胆にもある種の提言を掲げていると思う。反戦を唱えることはたやすいが、戦争を無くす為に何をなすべきかということを深く考えさせられる作品であった。

作成:02/08/05

当ページの画像は、かわぐちかいじ作、講談社発行の「沈黙の艦隊」4巻,28巻よりスキャンして使用しております。他に転載及び使用されることは堅くお断りします。