作 者:媒図かずお 全巻数:文庫本 6巻 出版社:小学館文庫 初版年:1998年8月 |
ごく平凡な日常を過ごす少年「高松 翔」、彼の通う学校がある日突然時空の壁を越え、地球滅亡寸前の時間(とき)へ校舎ごとワープしてしまう。
常識ではとうてい考えられないような極限の混乱の中、頼るべき大人である教師達は死に絶え、子供達は翔を中心にして生き延びようとする。
今回は最近出版された文庫本を読んだが、初出は週間少年サンデーに昭和47年頃掲載されているいわば"古典"である。
子供のころ「漂流教室」を読んだ感想といえば、単に恐怖とか不気味さとかが印象に残っているが、今回改めて全てのストーリーに目を通すとかなり奥行きの深い作品であったことに気が付く。
漂流されてしまった学校で、まず自滅的に死んで行ったのは教師達であった。真っ先に精神の自立を失って互いの命を奪い合っていった彼らの行状に対する下級生の質問に高松は答える。
おとなの人はだいたいものごとをりくつで考えるだろう。
だから、りくつにあわないことがおきたときにあたまの中がめちゃくちゃになってしまって、たえられなくなってしまうからだと思う。
たぶん未来にきてしまったなんてことは、先生たちには口に出していうことさえできなかったんじゃないかと思うんだ。
だっておとなの人はすぐ"そんなこの世にありもしないことを"っていうじゃないか。おとなの人はもう自分のものさしができてしまっているんだ。
でもぼくたちは、まだいろんな可能性を考えることができる。
だからこうして生きていられるんだと思う。
子供達は大人のいない世界で組織し、考え、賢さとずるさを学んで難局と対峙していく。そのさまはむしろ子供というよりも、立派な成人のそれと何一つ変わらない。変なものさしやしがらみから離れられない大人のそれよりも遥かに光っている。
唯一生き残った大人である給食納入業者の関谷の存在も重要である。大人のダーティーさを敢えて引き立たせるために、彼を悪の権現として生き長らえさせたのは好演出であろう。
破壊と殺戮の繰り返し。子供達に読ませるにはあまり薦められた内容でないと判断されるかもしれない。しかし、ハッピーエンドも救いもない荒涼とした世界で、子供達がその純真な心と命に大きな代償を払い、勇気や知恵そして分裂を超えて団結を身につけていこうとする姿がある。それらのヒューマニズムの奥深さには感動を覚えることであろう。
息をもつかせぬ恐怖の連続や、登場人物の心境の変化が見てとれるような溜めたコマ割りが"恐れ"を充分に引き出す。「漂流教室」の恐れは、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」のような自然への恐れではなく、文明の行き着くところ、そして人の心の行き着くところ、人類そのものの営みへ対する畏怖感のような気がする。